被災地巡検−私事ですが−

 昨年に引き続き、私が所属している※社会科勉強会にお世話になり、「東日本大震災の復旧・復興及び防災への取組についての教材化」をテーマに巡検に参加しました(18日〜20日)。昨年は、宮城県気仙沼岩手県大船渡や釜石でしたが、今年度は、宮城県石巻、女川、閖上(ゆりあげ)、そして福島県南相馬と南部を巡りました。復興は進んでいるかのようにも見えますが、4年目となっても津波の傷跡は残ったまま。海岸線から内陸へ数㎞の平地は、雑草の中に土台だけが並び、居住制限区域では除染作業に携わる人影以外には、時が止まった風景が広がっている現実に言葉が出てきませんでした。
 それでも、お話を伺う方々からは、がれきを受け入れていただいたことや多くの支援を受けたことへのお礼が述べられます。東北へ来てくれたことを喜んでいただけます。機会あれば、どうぞ被災地へおでかけください。

女川町立病院1階まで浸水(高さ17m越えの津波)  女川命の石碑(中学生のプロジェクト)
石碑の下に書かれている言葉
(全文)東日本大震災で、多くの人々の尊い命が失われました。地震後に起きた大津波によって、ふるさとは飲み込まれ、かけがえのないたくさんの宝物が奪われました。
「これから生まれてくる人たちに、あの悲しみ、あの苦しみを、再びあわせたくない!!」その願いで、「千年後の命を守る」ための対策案として、①非常時に助け合うため普段からの絆を強くする。②高台にまちを作り、避難路を整備する。③震災の記録を後世に残す。を合言葉に、私たちはこの石碑を建てました。
ここは津波が到達した地点なので、絶対に移動させないでください。
もし、大きな地震が来たら。この石碑よりも上へ逃げてください。
逃げない人がいても、無理やりにでも連れ出してください。
家に戻ろうとしている人がいれば、絶対に引き止めてください。
今、女川町はどうなっていますか?
悲しみで涙を流す人が少しでも減り、笑顔あふれる町になっていることを祈り、そして信じています。
石碑の裏には、英語 フランス語 中国語で言葉が刻まれています。

大川小学校旧校舎               名取市内(海岸は右手)  

閖上(ゆりあげ)中学校旧校舎(ガードレールが津波に倒される) 南相馬市除染した土など
※余計なことですが、小学校社会科を研究している都内教員の集まりで、休暇をとり、身銭で活動しています。